認知症介護・父の差し歯がみつからない!

こんにちは、りえです。

認知症の父との毎日の生活は、日々理解不能です。

これは、認知症と言う病気がおこしているのだとわかっているのですが、どうしてそんなことをするのか?と思うとイライラはつのります。

 

先日も「父の差し歯が見つからない」事態が発生しました。

 

2回めです。ああ、もう!どこに置いたの? なんで、外したの?聞いても覚えてないのだから、どうしようもない!!!

目次

認知症症状・探しものが見つからない

 

父の認知機能の低下が始まったのは、おそらく2年前。外出先から、自宅への帰り方がわからなくなり、母に電話をしていた様子が、携帯の留守番電話の残っていた。

 

電車に乗ることも怖くてできなかったようだ。何度も着信を残していた。恐怖だったに違いない。現在の父、本人にその当時の記憶はないだろう。

 

本当のところは分からないが、今は1人で出かけることはない。徘徊も今のところは、しない。

 

一番の認知機能低下は、

記憶が無いこと。

自分で、置いたところを忘れてしまうこと。

 

父の場合は、視力が悪いこともあって置いたところを忘れていて、よく見えないから「どこにあるか?」をしょっちゅう探している。

 

そして、りえが見ればすぐに分かるところにある。父は歯茎の衰えから歯を2本抜き、差し歯に変えた。

 

差し歯の掃除のために就寝前に外すようにしていた。

 

しかし、父は気づくと外していて、どこに置いたのか?がわからない事が増えてきた。ああ、こうやって「ないもの」探しが日常化するのか。

 

差し歯がない!

 

わが家では、父の食事は配食サービスを利用している。

 

りえの帰宅と父の食事が一致しないこともあるので、時間通りに届けてくれるお弁当はとても助かる。

 

りえの気持ちの負担も減るので、食事に関するストレスもなくなった。先日も、届いた夕食をご機嫌で食べていた父。

 

デザートのスイカをお皿に乗せて、もっていったらテーブルの上に差し歯が置いてあった。

 

ん? なんで、食べる前にはずしているの?

 

「差し歯ここにあるよ」と声を掛けてから、調剤薬局に薬をもらいに出かけました。帰宅まで30分。戻ってくると、父はテレビでの野球観戦中。

 

弁当も、デザートのお皿もちゃんと片付いていました。結構キレイ好きな父です。

 

じゃあ、差し歯を洗浄しようかとケースを用意して、父の元へ行くとテーブルに置いてあったはずの歯がなくなっていました。差したのかと思って声をかける。

 

「入れ歯の洗浄しよう」 「無いで」 なんで?さっきまでここにあったよね? 父の周り360度、隅から隅まで探したけど、ない。

 

2時間探した。どこにも無い。リビング。 台所。 寝室。 それぞれの部屋のゴミ箱も全て見た。

 

どこにもなかった。

 

探すことに疲れてしまった。

 

父はと言うと、探していた事を忘れ、見つからないことも忘れ、そして、思い出したように「差し歯」がないことに気づく。

 

その父の様子に。イラ立ってしまってついに探すのをあきらめて寝ることにした。

 

どこにあったか?

翌日。

 

昨日の父の行動を想像しながら、差し歯が外れていることを知りながら、 自宅を開けたりえの行動も反省しつつ、冷静になった頭でもう一度探す。

 

探していないところはないか?ひとつある。トイレだ。

 

トイレのゴミ箱。

そこに、見慣れないスーパーの広告が丸めて捨ててあった。おそるおそる開けてみる。

 

広告の中には、ティッシュにくるまれたスイカの種と一緒に差し歯があった。どうして、捨てているのか?

 

「捨てるわけない!」 父は一度もゴミ箱を探さなかった。

 

本人は捨てるわけない!と思っているのだ。では、なぜ捨てていたのか? きっと考えるだけ無駄なのだ。認知症とは、そういう病気なのだろう。

 

理解できない、つじつまが合わない

 

あくまでも想像だ。スイカの種はいらない。差し歯は、汚い。 食べるときには必要だけど、今はいらない。

 

種と一緒に丸める。

 

食事が終わって、スイカの種を入れていたティッシュを捨てようと思った時に、すぐ横に差し歯が置いてあった。

 

認知機能が低下しているので、一緒に丸めてしまった。

 

どうして、トイレのゴミ箱だったのか?は分からない。どうして? なんで?理由はないのだろう。そういう病気が認知症なのだ。

 

いつもと違うことよく見ていることが大事だと思い知った。

 

近くで、見ている事はとても大切だ。まさかここには、ないだろう? そういう所にこそ、あるのではないか? ゴミを捨てる時は要注意です。

 

ゴミ収集の日は、見てから捨てよう。

 

認知症介護はイライラする!

 

父との生活は、日々イライラしてしまう。気持ちを落ち着けようと思うのだけど、イラッとする。

 

どうしてそんなことを言うのか?どうして、そんなことをするのか?

 

よく観察していると、きっと理由はあるのだろう。

 

身体が、病に侵されて建前とか、コニュニケーション能力が希薄になり本音の部分が強調されるような感じ。

 

認知症の人は本音で行動する。

 

わかっているのだけど、ずっと一緒にいると疲れちゃう。ちょっと離れるのが、認知症介護には必要だと思う。

 

父は、幸いデイサービスに喜んで行ってくれているので この時間で、反省。帰ってきたら、笑って迎えよう。 おかえり。

 

認知症の父を別居介護出来るのか?

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