親とゆっくり話をしたのはいつのことだろう?介護しながら思うこと

こんにちは、りえです。

今、毎日父と一緒にいます。

こんなことはりえの人生に無かったことです。

父はりえが子供の頃、仕事でほとんど家にはいませんでした。
夏休みの家族旅行にも途中参加の一泊くらいで、父だけ先に帰っていました。

ゆっくり会話することも、りえの人生のなかで今まで無かったような気がします。

今が、一番一緒にいる。

不思議なものだなと思う。

わかっているけど、心が辛い

祖父
認知症の父は、同じことを何回も聞く。

同じ事を何度も繰り返す。

本人にとっては、何回もしているとは思っていないんだろうけど。

周りの状況とか反応とかには、敏感に反応する。

「何を探しているんや?」とか、

「何をバタバタしているんや?」と、周りの状況を本当によく見ている。

とても気になるようだ。

つい先ほどのことを忘れてしまうので、こちらには不思議だけど周りのことに敏感に反応する。

そして、

「おっ、いつ来たんや?」

と、りえが来ていることは忘れている。

ずっとそばにいるんだけどな。

そして、「暗くなるから早く帰り」と言う。

でも、帰ると言うと寂しそうにする。

ずっと大きかった親が、こんなにもか弱い老人になっていることを実感する。

そして、なんだかとても切なくなる。

今は、りえの名前もわかっているけどいつまで覚えていてくれるのだろうと思うと心が痛い。

このまま、時が止まれば良いのにと思う。

普通に見えるけど、認知症って言うちょっと厄介な病気なんだよね。

怒っちゃいけないと思いつつ、

「なんで?」分からないの?とか、

「なんで」そんなことを言うの?っとか、

「なんで」そんなことするの?って思ってしまって、イライラする。

親に対して、ひどい言い方をしてしまう自分に嫌悪する。

一緒に暮らそうか?って思う。

でも、きっとお互いに疲れ切ってしまうからダメだ。

ちょっと離れていないと、気持ちが疲れてしまう気がする。

自分の親だと冷静に対処出来ない時があるから。

認知症の人は、同じことを何回も聞くから覚えてないんだけど、
その時の気持ちは残っているそうです。

私の言葉とかから、受け取る微妙な苛立ちとかを敏感に受け取っている気がする。

そして、自分が嫌いになる。

そばにいたいけど、そばにいることが弊害になる時もある。

介護は難しいと思う。

歳を取ると、子供に戻るのか?

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孝行したい時に親は無し。

そうなる前に母が倒れて、父と一緒にいる時間が持てている。

これはある意味、りえにとっては幸せなことなのではないだろうかと思う。

人生で親とゆっくり向き合ったり出来る時間なんじゃないだろうかと思う。

そういう大切な時間をもらっているのではないかと思う。

自分の人生だけど、自分を育ててくれた人達だから。

りえの出来る事を、真剣に考えてみる。

父は、りえが働いている事を忘れている。

母が入院しているのは、りえの弟の出産のためだそうだ。

りえに弟はいない。

男の子が欲しかったんだ。

そう言えば昔、父に聞いたことがあった。

「男の子、欲しかった?」

その時は「りえと妹がいるから、いらない」って言ってた。

でも、今同じ質問をすると、

「そりゃ、欲しいわ〜」とあっけらかんと言われた。

本音がどんどん出てくる。

昔の話もいっぱい出てくる。

会社員時代の話とか、祖父の若い時の事とか。

結構、面白かったりする。

このまま、仕事辞めて父と一緒に暮らそうかなって思うときもある。

「介護離職」という言葉がよぎる。

いろんな選択肢のなかから何を選ぶべきなのかな。

今まで、頑張りすぎてきたかも知れないと思う。

介護者は、時に介護しながら自分と向き合うのだと思う。

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