りえの介護記録・その2「父の要介護認定の申込み」

こんにちは、りえです。

2016年も押し迫った暮れの出来事でした。
両親がふたりとも要介護者となってしまったのです。

りえの生活は一変しました。

仕事も生活の場も変わりました。
気持ちが付いていかないだけで、刻一刻と事態は動いているのに流されながら送っていた日々を振り返っていきます。

りえには妹が一人います。

いました。

今は他界しています。

姉妹がいればなあ、と思うこともあります。

まあ、考えても仕方ないので娘と二人での介護頑張っています。

地域包括支援センター

春1
母が入院した急性期病院のソーシャルワーカーさんには、大変お世話になりました。

何がなんだかわけがわからなかったりえに始終寄り添って、医師からの病状説明にも同席してもらいました。
誰かが、一緒に聞いてくれているだけで安心するものなんだなぁと言うことを実感しました。

父が認知症にさえなっていなかったら、違っていたのでしょうが。

いや。

父が、認知症なので助かっていることのほうが多いです。

父は普段の生活も深刻にならずに、朗らかに暮らしています。

その様子を見てイラッとすることはありますし、同室の他の患者さんの同年代のご主人さんを見て、羨ましいなあとよく思いました。

実際には、息子さんや娘さんが主介護者として動いていらっしゃいます。

それでも、ご主人さんが見舞いに毎日来て、声掛けをしている様子だけでも羨ましいと思いました。

りえが、病院から帰宅しても母が入院していることを忘れてしまっている父に複雑な気持ちになります。

時折頭を抱えて考え込んでいる様子のときもあり、父は父で情緒不安定でした。

時々病室に連れて行っても、そのたびに同じ質問をし同じ話を繰り返す。

「早く治りや」

「なんでこんな病気になったんや?」

「病院はちゃんと治療してないんちゃうか」

「こっちの手、冷たいな、なんでや?」
同じことばかり繰り返す父の質問に、疲れて答えられない自分に嫌悪する毎日でした。

それでも病室での父と母の様子は、やっぱり仲の良い夫婦でした。

母の意識がもどってからは「父に会いたい?」と聞くと大きく頷くし、
父を連れて行くと、母の手をさすって「早く治れ」とか「頑張れ」と声をかける。

なんとも夫婦って不思議だなぁと思いました。
二人の世界がそこにはあるんです。

病院のソーシャルワーカーさんに紹介してもらって、両親の自宅のある地域の包括支援センターから職員さんが両親の自宅に来てくれました。

父の認知症の支援の申請と要介護認定の申込みを請け負ってくれました。

父の認知症は、進行していたのに介護申請をしていなかったからです。

もちろん、専門の病院にもかかっていませんでした。

申請とともに簡単な認知症の検査もしてくれました。
認知症の簡易検査の結果は「アルツハイマー型認知症」ではないかとのことでした。

今まで、父も母も専門医にかかったこともありません。
要介護認定も受けていませんでした。

要介護の申請から認定まで、約1ヶ月かかるとのことでした。
認定がおりる前からでも、介護サービスを受ける事はできます

父に合う日帰りの介護サービスを探してもらいつつ、父の自宅での生活を毎日通いながら支援することになりました。

このあと、認知症の専門医にかかるまでに4ヶ月かかりました。
というのも、病院の予約がいっぱいだった事。

やっと取れた予約日に母が急変し、父の通院時間に間に合わなかったためです。

父にも母にも地域の主治医が、いませんでした。

父に至っては、若い頃から大病院を転々とする大病院好きな性格でした。
両親の持ち物を実家で確認したところ、出るわ出るは診察券の山と飲んでいない大量の薬品の山。

薬手帳は10冊近く有りました。
医療機関ごとに薬手帳をもらっていたようで、連携が全く取れていませんでした。

薬手帳の意味がわかっていない。
大量の薬をどんどん処方されている様子でした。

認知症の為か、もらった薬も飲んだ形跡がない。
大量の湿布薬、大量の睡眠薬、大量の整腸薬。

具合が悪いと言われれば、薬を処方する国民皆保険制度の恩恵を受ける日本の高齢者がここにいました。

診察券のほとんどは、大学病院ばかりでした。

父の認定は、要介護1


父の要介護認定は、認定調査員が自宅に来る前に包括支援センターの福祉士さんとの面談に始まり、比較的スムーズに進みました。
介護サービスの提供の情報から、緊急通報装置の申請、徘徊ネットワークへの登録など、あらゆる地域の高齢者向けのサービスを一度に申込みしてもらいました。

要介護申請は、とても簡単にできました。
といっても、職員さんにお任せしました、いろいろありがとうございます。

要介護申請は、地方自治体の国民健康保険の高齢課の窓口などで受け付けてくれます。

役所の認定調査員さんが、自宅に来て下さって本人と家族との面談をします。

この時、高齢者本人は普段よりも頑張っていいカッコをしてしまいます。

普段より機敏に動いたり、質問に「出来る!」と嘘を言ったりします。

「できないこと」を家族は強調して、認定調査員さんに説明するようにおすすめします。

要介護申請には、主治医からの意見書が必要です。
認知症や他の持病があれば、その主治医に記入してもらいます。

父は、泌尿器科で通院していた病院があったので、そちらにお願いしました。
本来は、認知症の専門医が良かったのですがしかたありません。

父の介護認定は、4週間くらいでおりました。

全て、地域包括支援センターさんのおかげでスムーズでした。

母の要介護申請は、病状が安定してから申請することにしました。

母の場合は、申請がおりるまでは6週間くらいかかりました。

2回目だったので、こちらの申請は自分で役所に行きました。

その後、父が泌尿器科で入院した病院のソーシャルワーカーさんも看護師長さんも母の介護申請は、すぐにした方がいいと言われました。

その理由は、申請が通るまでに時間がかかるから。

このあたりは、考え方次第です。

退院のめども立っていないのに、要介護申請をしても無駄になるかも知れない。
でも、自宅に戻って生活出来るかも知れない。
その準備をするのは、家族としての希望を持ちたい気持ちもあります。

認定調査員さんは、隣の隣の隣の町の病院まで来てくれました。

自宅からはかなり遠い病院でした。
救急搬送先が、なかなか見つから無かったのだろうと思います。

とても重症な母を受け入れてくださった病院に今は感謝しかありません。

父の介護サービスを使う

介護

父は要介護1の仮決定がおり、サービスをスタートさせることにしました。

認知機能は衰えていますが、身の回りの事は、なんとか自分で出来ています。

ただ、昭和一桁生まれの男子は、厨房には入りません。
座ったまま、動きません。

食事は、出されたものを文句も言わず食べます。

着替えも歯磨きも言われないとしません。

大きな赤ちゃんです。

当初、一人暮らしが出来ると言い張っていました。
りえは、父が一人で暮らせるような体制を作ろうと考えました。

昼間は、デイサービスを利用する。
夕食は、配食サービスを使う。
父の着替えは、デイサービスで入浴とともにする。

りえは、父が寝てから自宅に帰り朝にまた来る。
昼間は、母の病院に付き添う。

そんな1ヶ月を送りました。

りえは父を見守る事、母の付き添いをすること、そして自宅の事と3つを掛け持ちしていました。

毎日通っていた頃の母は、順調に回復していました。

でも、りえは疲れ切ってしまいました。

自宅と父の家の往復は、約2時間。
体力と気力の限界で、些細な事で父と喧嘩をしてしまいました。

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