胃ろうという選択について、脳梗塞発症から10ヶ月経った母に。

こんにちは、りえです。

 

脳梗塞を発症し、救急搬送された母も10ヶ月経ちました。

 

回復リハには行けず、一般病棟から療養病棟に転院して2ヶ月目。主治医から、今後の治療の方向性についての面談がありました。

 

病院も今のところで3つ目です。

 

りえが全て1人で意思決定をしてきて、いつかは決めなくてはいけないと思っていた「胃ろう」問題に決断を下しました。

脳梗塞の発症時

医師と女性
りえの母が救急搬送された時に見せてもらっった脳の画像は、半分が真っ白でした。重篤な状態。

 

失語症、片側麻痺、嚥下障害、高次機能障害の後遺症のために、今までのような生活はできないと言われました。

 

それでも、一月くらいするとリハビリも順調に進んで、立ったり座ったり、物を投げたり出来ていました。

 

言葉にはならないけど、何かを訴えるような声を発していました。なんとなく、意思疎通ができているのではないかとりえは思っていました。

 

食事もなんとか取れていましたし、自分でスプーンからなら1人で食べていました。それが、2ヶ月たったくらいから、食べなくなりました。

 

拒否するようになったのです。

 

その時は、困らせようとしているのかと思いました。

母の気持ちとりえの思い・食事について

親子の手
食べたくないのか?

 

のどは乾いているようだったので、飲み込みがうまくいかなくなってきていたのかも知れません。

 

毎日通って、食事のたびにりえがそばについて居れば良かったのかも知れない。自宅なら、食べてくれるのかもしれない。病院の食事は美味しくないから食べたくないのか?

 

母が回復しつつあるように見えたので、病状を軽く考えていた事や病院に任せようとか、りえ自身も初めての事だらけで良くわかっていなかった。

 

家族の気持ちは、口から食事を取ってほしい、だったから。

 

でも、徐々に食べなくなり、とうとうアイスクリームだけ食べる日々が続き、免疫が落ちて感染症で隔離されてしまいました。

 

病院に居たくないという母の抵抗だったのかも知れません。家に帰りたい。そう思っているのは、うすうす感じていました。

 

この頃は、見舞いに来ているりえやりえの娘にも早く帰宅するようにという身振りもしていました。言葉に出来なくても、親としての思いがあったと思います。

 

だからこそ、入院という事態を受け入れがたい、のかも知れないと思いました。

 

感染症で隔離されていた時は、酸素マスクに栄養のチューブがつけられ痛々しい様子でした。点滴も、マスクも鼻のチューブも処置されている何もかもに拒絶反応を示しました。

 

こんなものを付けるな!って怒っているようにも見えました。

 

弱々しい表情の虚ろな目でみるのです。

 

抗生物質の投与で回復した母は、一般病棟に戻り、通常のリハビリも受けはじめました。りえが病室に行くと、鼻を手で覆ってしかめっ面をします。

 

マスクもチューブも付けるな!嫌だ!

 

そう言っているのだと思いました。

 

主治医からの以後の治療の提案では、この母の気持ちを尊重していきました。

 

そしてもう一つ、「食事は口からして欲しい」この気持をなかなか捨てることが出来なかった。

経管栄養、点滴栄養

点滴
もともと嚥下機能が、悪くなるだろうという予想された後遺症。主治医は、経鼻栄養を提案しました。

 

でも、本人も拒否しているし嫌だといいました。

 

結果、点滴での栄養と口からの食事を頑張るという治療を延々と続ける事になりました。

 

今から思えば、まだ身体が動きリハビリにも通えていたあの時に胃ろうをしていたら?もう少し、体力のあるうちにリハビリがスムーズに進んだのではないかと思います。

 

しかし、この頃のりえは「無理な延命措置はしない」という気持ちが強かった。

 

これは、ネットの情報や書物からの偏った知識で形成された思想だったと思います。結果的に、点滴での栄養には限界が来る。

 

体力が徐々に弱り、生命の危機に直面する。そうなっても仕方ないと何処かで思っていたような気がします。

 

口から食べれなくなったら、それは母の寿命なのではないかと。

 

延命治療の考え方

病院のベッド
母が転院するたび、入院先の病院での問診の時に必ず聞かれる。万が一のときの処置はどうしますか?

 

救急車で搬送された時には、万が一のことばかり考えていた。その時は、仕方ない。

 

「無理な延命治療は断ろう」そう思っていたし、そう言ってきた。

 

でも、転院するたびに聞かれる「延命治療」の意味合いが変わってきているように思えてきた。終末期の延命と今の母の状態は違うのではないだろうか。

 

そのことに気づいてきたのは、2つめの病院での主治医の言葉だった。

 

「母はまだ若い」

 

びっくりした。そうか、療養病院では、70代の母はまだまだ若いのだ。他の入院患者さんは90代、80代後半の方たちだったのだろう。

 

脳梗塞と言う突発的な病気で、入院しているだけで、まだ母の寿命ではない。

 

今、生きようとしている母の身体のために必要な処置はしたほうがいいのかも知れない、そう思うようになってきた。

 

母の心は生きたくないと思っているのかも知れないけど、身体は生きようとしている。半年、食事を取っていないのにだ。

 

頑なに「延命」を拒む事はないのではないか?

 

ちまたで議論されている「延命」と母の状態は同じなのだろうか?このまま、りえが胃ろうを拒否することで母の命を断っていいのか?

 

「母は若い」のだ。

胃ろうすることを決める

四つ葉のクローバー
病院からの着信があると、ビクッとする。母が急変したのではないか?そして、毎日顔を見に病院に行く。

 

疲れて、病院に行かずに家にいるとかならず電話がなるのだ。

 

看護師さんからの電話で「主治医が話したい」と言っていると聞くと、さらに妄想がはじまる。あれやこれやと不安でいっぱいになる。

 

なんの話だろうか?といろんな妄想を消すためにネットや書籍で情報を調べて、少ない知識を増やそうとする。

 

そして、ますます不安になるのだ。寄せ集めの情報は、結果的に混乱をまねく。

 

そして、主治医からの話とは、テレビで見ているような、個室でのものではなく、ざわざわとしたナースセンターの片隅だ。

 

閉鎖された空間ではなく、ソーシャルワーカーさんが同席してくれて一緒に話をきいてくれる。ありがたい、気持ちが軽くなる。

 

さらに、担当の看護師さんも一緒にいてくれる。心強い。

 

母が入院してから、何度も何度も考えてきた。とうとう食べれなくなったら、どうするのか?

 

本人ではなく、患者の家族が重要な選択をせまられる。

 

「マスクとチューブは嫌」と母は言っているだろうと想像で思う。もうわからない母の気持ちを思い巡らせるのはやめよう。

 

主治医の話は、淡々と現状の母の様子とそのために必要な処置の提案だ。

 

現状、経鼻栄養の場合
1、チューブの交換に苦痛を伴い、交換の頻度が多い。
2、まれにチューブから内容物が逆流する。
3、顔にチューブを止めるテープで皮膚が荒れる。
4、チューブを外す恐れがあるので身体拘束がやめられない
5、のどの異物感で、食事のリハビリも困難
6、誤嚥による肺炎が心配。

 

胃ろう処置をする場合
1、胃カメラを使用しての手術で、30分程度。
2、チューブ交換は半年に一度で、苦痛はほぼない。
3、食事のリハビリも続けられる。
4、食事が取れるようになれば外すことも可能。
5、顔にテープを貼ることもなくなる、身体拘束はしなくて良い。
6、終末期ではない母には最善の処置である。

そして、もっともだと理解できた。

 

脳の病気で運動機能や嚥下機能が衰えただけ。その他の臓器には異常がない。一番自然に近いかたちで、身体に栄養を取り入れる方法が胃ろうだ。

 

「胃ろうをする」決心をした。

 

ソーシャルワーカーさんと看護師

秋の夕焼け
主治医との面談のあと、忙しいなかソーシャルワーカーさんがしばらく一緒にいてくれた。

 

ずっと考えてきて、決めて面談に臨んだのだけど涙があふれてきた。

 

ありがたいなあと思う。ソーシャルワーカーさんは、いろんな場面で家族が悩んだり迷ったりするのを見てきているのだろう。

 

寄り添ってくれるだけで、なごませてくれる。

 

いままでの転院先の病院の看護師長さんからも同じように言葉をかけてもらってきた。そのたびに心はすこしだけ軽くなった。

 

「どんな選択をしても、後悔はある」「みんな悩む」「一度決めても、変えてもいい」

 

正解はないのだ。そして、どんな選択をしても、みな後悔するのだと。

 

患者本人のことも大事だけど、家族の生活を一番に考えていいのだと。今、出来る最善の処置だと思う。

 

入院は長くなるかも知れないけど、心は近くに寄り添って行こうと思う。一番の思いは、母にはどんな形でも長生きして欲しいから。

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