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認知症介護のはじまり

こんにちは、りえです。

父と母の暮らしを一変させた、母の入院。 父が救急車を呼び、搬送され入院した。

 

父は、そのことを覚えていない。

 

「どうして、あんな病気になったんや?」 病気の事も、入院先の病院も覚えられない。

 

ひとりで電車に乗ることも、もう出来ない。

 

母が入院している事実は、わかっているみたいだけど。 「認知症」言葉では知っていたけど、どう接していいけばいいのだろう。

 

これからが、とても不安だ。

目次

父の物忘れ

時々実家に帰った時に、母がよく愚痴っていた「父の物忘れ」

 

一緒に暮らしている者とそうでない者には、「ただの物忘れと認知症」この違いがわからない。

 

老化現象としての「物忘れがある程度」って思っていた。

 

時々、混乱してとんでもないことを口走ったりするんだろうな、くらいの認識でそんなに気にしていなかった。

 

母の突然の入院。

 

入院先の病院に駆けつけた時に、小さくなって座っている父を見た時、心臓をわしづかみにされたような気がした。

 

父も母も、老いている。

 

知っているはずだったけど、他人事のように思っていた自分を思い知る。

 

こんなに小さくなっていた父のことを。

 

自分を育ててくれた、大きな大きな存在だった両親も、年老いてそこに小さく佇んでいる。

 

父の物忘れは、年齢以上に進んでいた。5分前の事も、覚えていられない。 同じ話を、繰り返す。

 

まだ、りえの事は覚えてくれているみたいだ。いつか、りえの事も名前も忘れてしまうのだろう。

 

その時が、まだまだ先なら良い。

 

医師からの母の病状説明を父は覚えていられない。大変なことになっているとはわかっているが、内容が理解出来ない。

 

医師は、ゆっくりと丁寧に画像を見せて説明してくれた。 本当にいい先生だった。その日だけの臨時できていた若い医師のようだった。

 

以後、入院期間に会うことは一度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

母の病状も対する父の反応も、そのどちらもがりえにとってはショックだった。

 

緊急搬送された病院で、父は帰宅する前に時間外の担当の受付の人に病院の名前を必死に聞いていた。

 

「どうやって来たらいいのか?」と何度も何度も聞いていた。

 

父は、あきらかに判断能力が衰えている。その様子を黙ってみていた。こころが痛かった。

 

そうやって教えてもらった事も、すぐに忘れてしまうのだ。ここが、「自宅からはとても離れている」ことは認識出来ているようだった。

 

父を1人にできない、と強く思った瞬間だった。 これから、どうしよう?母のことよりも、父との明日からの生活が一番の不安だった。

認知症の父は一人暮らしができるのか?

父は実家で、母と暮らしていた。

 

帰宅するなり、りえにも暗くならないうちに、帰れと言った。 遅くなったら、泊まっていけと言う。 今は、ひとりで暮らしている。 と、思っている。

 

80代の父の時間の流れは、どれくらいなのだろう。

 

放おって置くと、一日中コタツで横になって寝ている。今日が「何日で」「何曜日で」ということは分からない。

 

母の部屋を覗いて、いないので「入院してたな」と思い出す。「1ヶ月、入院って言ってたな」 「ナンギやな」 で、コタツにごろん。

 

「一人暮らしは、寂しいなぁ」

 

母の入院は「脳梗塞」で、 医師の説明は「通常は1ヶ月様子を見る」その後の病状を見て「リハビリする」 画像を見る限りでは「かなりの後遺症が残る」 だったのだが。

 

父の頭の中には「1ヶ月入院」が辛うじて残ったのかな。「1ヶ月で帰ってくる」と思っているのだろう。 ゆっくりと説明していこう。

父の要介護認定

要介護申請をしていなかった父。

 

母がいれば、普通に生活出来ていた。 一緒に暮らして、母の大変さを痛感した。

 

とても、疲れる。

 

認知症の診断がまだなので、実際の病名はわからない。

 

認知症を家族に持つ人ならば、わかるであろう症状のオンパレードだ。

 

1日に、同じことを何度も言う。 出かける前に言うことは、いつも同じだ。

 

「帽子はどこか」 「鍵がない」 「(障害者)手帳がない」 「保険証がない」 一通り確認して、立ち上がったらまた確認作業に入る。

 

「鍵はあるか?」 「手帳はあるか?」 「障害者用の切符はどこか?」 「保険証はあるか」 駅に向かう道でも。 5分と経たずに、同じ確認をする。

 

全然、物事が進まない。

 

通院の度にこれが繰り返される。 電車に乗るまでが、一苦労だ。

 

我が家は、車がないので移動にはとても不便だ。

 

電車までの道のりが、結構な坂道(自宅は登山口付近にある)で、50代のりえでも駅までの往復はとても疲れる。

 

「なんで、こんなとこに住んでんねや」って言われても、こっちが聞きたい!のですよね。

 

先週、やっと、要介護認定の決定通知が来ました。

 

要介護1。

 

ケアマネージャーさんも決まって、やれやれ。

 

前途多難な介護生活が始まる。 介護保険の事も、介護サービスの事も、何もかも分からないまま介護生活が始まって、もうすぐ2ヶ月。

 

母の入院とダブルで大変だけど、なんとか前向きにやってます。

父が元気でいられる時間はどのくらいあるのだろう?

認知症の診断は、受診して検査結果が出るのを待っている状態です。

 

分からないまま、突然突入してしまった介護。 手探りで、わからないことばかり。 父の気持ちを考えずに、イラッとしてきついことを言ってしまったりと反省ばかりです。

 

認知症を発症してから、どれくらいの日が経っているのか?

 

母のカレンダーに記された言葉からの想像で判断するしか、ありませんが。

 

2年は、経過しているような感じです。

 

ここ半年に、急激に進んだような気がします。

 

りえのストレスが貯まらないように、父の介護、母の介護が、出来る環境を整えていけたらと考えています。

 

介護に気を取られて自分の通院の日を、忘れないようにしないと。

 

在宅介護、別居介護、はたまた介護離職、色々な言葉が頭をよぎります。

 

まだ、試行錯誤の段階で、決定には至っていません。

 

慌ただしい毎日の中で、ゆっくりと情報収集もする気になりませんでした。

 

このごろやっと、書物に目を通したりする気持ちになりつつあります。 これから、どうしていけばいいのか。

りえ: 短大を卒業して、気づけば30年。デパートで販売しています。更年期の体調不良に悩まされ、バセドウ病で休職、復帰した途端に両親の介護が始まりました。人生まだ半分!これからこれから!
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